東京都国分寺市のデザインマンホール
ぶらりマンホール、窪東公園付近での撮影
子どもと窪東公園に遊びにいった時に撮影したものです。
色付きと2種類ですがよく見ると同じではありません、色なしは、周りを囲っている波の模様が複雑です。なんでしょう?川のイメージといっても代表的な川といえば野川なのかな・・?。 花の絵はサツキですね。市の花にも選定されていますし、道路と歩道の境にサツキを植えてあるのをよく見ます。図柄の上部には国分寺と達筆な字が書かれています。 このデザインマンホールが云いたいことはなんでしょう?。
国分寺市とサツキ
市の花は「サツキ」、市の木は「ケヤキ」、は昭和46年1月に、一般公募により制定されたようです。 サツキが国分寺市の代表になるにはもう少し何か理由が欲しいところ。サツキが自生していたとか?市の木で選ばれた事以外にわかりません。誰かご存知でしたら教えたください。 デザインマンホールの周りに見える波は瓦をイメージしているそうです。軒先の瓦だそうですが言われると分かりますが、なぜ瓦なんでしょうか? 国分寺市は瓦の生産日本一?とか、あるいは瓦屋根が日本一多いとか?、もう少し納得のできる理由がほしいところです。
江戸時代から瓦の収集家が訪れていた?
国分寺市の名前の国分寺って、他の地域でもよく聞く名前ですね。 理由がありあます。741年に聖武天皇の命により日本全国に国分寺を建立する、国家プロジェクトがあったのです。当時は大地震や飢饉が発生し疫病が流行り、その混乱を鎮める為に、奈良の東大寺をはじめとする「国分寺」と呼ばれるお寺が日本各地に建立されたのです。 国分寺市は日本最大の国分寺でした。しかし鎌倉時代末期に消失です。 江戸時代から 古代瓦の出土が知られていて、現代では国分寺の貴重な資料となっています。 (武蔵野国分寺資料館) そういえば、西国分寺のユルキャラ、「にしこくん」瓦の鐙瓦(あぶみかわら)に似ていますね。 デザインマンホールの上部に書かれている文字はひょっとして、瓦に書かれた文字を模しているのではないでしょうか!
国分寺市の魅力
日本最大の武蔵国分寺をつくったり、日本の中心として栄えた町だったり、七十の塔があったり歴史的なものを感じずには要られません、実際に国分寺市にはそれらを残すための跡地を訪れることができます。今もそれらの研究が進められています。 またその歴史には「はけの道」が関係していて今も実体験できます。