岡山県岡山市のデザインマンホール桃太郎
ぶらりマンホール、岡山市商店街での撮影
古くからの友人が岡山市に遊びに 行った時に撮影してくれたものです。マンホールの蓋
桃太郎が中央に立ち左に猿、右に犬上空にはキジ。 猿が旗を持ち旗には日本一と記載されています。
背景は波でしょうか?
海、川?
何故桃太郎?
桃太郎と云えば岡山県!と余りにも有名ですね
桃太郎の話の前に桃太郎が携帯していたキビダンゴについて。
日本古来から有るキビダンゴは「黍団子」と書きます。
黍(きび)の植物を粉状にして作った団子です。 しかし岡山では「吉備団子」と書きます。 なぜ何でしょう? (黍についてのリンク)
吉備団子の起源
に関する説は様々ありますよ。
岡山県のある製菓によると「池田藩筆頭家老で大茶人伊木三猿斎の指導 で古くからあった黍団子(キビダンゴ)をお茶席にも向く求肥(ぎゅうひ。)製にしたのが、黍団子(キビダンゴ)の始まり」とあり、吉備津神社の境内の茶店に出されていたそうです。
吉備の国+黍団子(キビダンゴ)=「吉備団子」 吉備の国と黍団子(キビダンゴ)を結びつけて、「吉備団子」となったそうです。 さらに別の説では
江戸時代に吉備の国で黍が豊作だったので団子を作り、国名(吉備)にちなんで「吉備団子」となったとか・・・もあります。
桃太郎は実在する?
吉備津神社に秘密が有りそうです。
吉備津神社とは、古代日本の皇族の吉備津彦命(きびつひこのみこと)を主祭神としている神社です。
吉備津神社に残る『社記』の「吉備津彦命の温羅(うら)退治」は、桃太郎の話に内容がよく似ていることから、吉備津彦命が桃太郎とされています。
ここに出てくる温羅(うら)とは、鬼とされていた男です。
しかし最近の説では温羅が渡来人であり、製鉄技術を持っていて後に吉備の国に技術が伝授されて栄えたのですが・・・
それを面白く思わない人がいて、ネタミと嫉妬に変わって鬼役にされたのでは、といった説も出ています。
続きはリンク先を御覧ください。 (吉備津神社についてのリンクです)
桃太郎の伝説
「桃太郎伝説に出てくる黍団子(吉備団子)と、
温羅(うら)伝説が岡山の桃太郎として定着したと思います。
岡山市のデザインマンホールの桃太郎はそういった経緯と考えられます。
桃太郎伝説は岡山だけでなく日本各地に点在していて、 江戸時代の頃に桃太郎伝説が広まったとされています。
広まった理由としては、歌、芝居、書物、口伝えだったのでは?
話の内容も様々でありながら、それらしい鬼の住まい、資料 等も残っているようです。
それぞれの地域の桃太郎も楽しいものです
桃太郎伝説は様々な方が研究されていますので興味の有る方は検索して見るのも面白いです。
編集後記
岡山県は、気候が温暖な土地柄であり、地震も少なく長寿者も多くとても住みやすい町でもあります。特産物としては果物の白桃が有名で、糖度も高く甘みたっぷりの一級品です。
そしてマスカット、葡萄、りんご等など沢山ありスイーツの材料にも使われています。
見所は意外と多くありましてその一つが後楽園です!日本三名園の一つに選ばれています。
倉敷市児島地区は「国産ジーンズ発祥の地」として、井原市は織物・デニム生地の本場として、日本のジーンズ生産の一大拠点となっています。
なぜ?
倉敷市児島は江戸時代干拓地だったため塩分の多い土地だったんです。
そんな土地でも育てやすい綿花栽培が栄えて、児島三白(こじまさんぱく:3つの白物)漁業=イカナゴ、塩業=塩、機業=綿、と云われるほど全国的に有名でした。
江戸時代:綿作にともない、真田紐、織物、足袋などの製造販売が盛んになる。
明治時代:機械化が進み紡績工場が開設され輸出製品が増える。
大正時代:帯地、足袋の生産が増え、児島を中心に岡山県が全国一の生産量となる。
昭和(戦後):足袋製造などは衰退し、代わって学生服製造が盛んになる。
1965年:国産初のジーンズが発売、日本ジーンズの発祥の地として有名になりました。
児島ジーンズの特徴は、素材の染、織り、縫製、洗い、仕上げ加工の全ての技術のノウハウを持っています。 そのために日本だけでなく海外からに高い評価を受けています。 有名メーカージーンズも仕上げ加工だけは児島で行われるほどです。
ぶらりと寄り道では、岡山の友人にもらったジーパンの話を掲載しています。